バーテンダー🔄人間への興味(価値観)

前回の自己紹介の投稿を書いたら、一つ一つ掘り下げたいことが山ほどあるような気がする。
でも何を書いたっけ?・・そうそう、バーテンダーだ。それと自分の価値観と結構相性が良いってことも書いた。
その価値観というのは人間への興味だ。知性・理性という価値観とも繋がっている。
 
バーテンダーってのは変な人が多い、という傾向は昔からあるみたいなんだが、自分もちょっと変わっている。
飲食業という業界の人間としては、おそらく、とても「らしからぬ」経験をしてきた。
 
人間への興味・・と今はザックリと括っているが、元々は自分の人生についての悩み苦しみ絶望を何とか突破したいと、心理学、脳科学、思考法、東洋思想、哲学、精神世界もかじりこんで探求してきた・・
まあ他にもあるが、実はあれやこれやと並べたところで意味はない。
色々見て来たけど、結果的にほとんど捨てたとも言える。というのは、熱心に色々やってきたが、最終的には本当に良いものとそうでないものが区別できるようになってきたわけで、シンプルになったのだ。(あと、元々のネガティブな動機も色々あってもう過去のものとなった。)
 
でも、それはそれとして自分のやってることは昔から今もバーテンダーなわけ。
セミナーやコースに参加しても、自分以外にバーテンダーはいなかったな。飲食業の人もほぼいなかった。
 
その分野で知り合った人たちには、コーチング、コンサル、カウンセラーなんかをやってる人たちが多かった。(ちなみに自分もコーチングのコースに参加したこともある。)
 
とにかく自分は興味があるから前のめりに勉強していたし、自分の「場違い感」も楽しんでいた。ところが手前味噌だが、そういった人間への興味や探求という価値観と、バーの仕事は相性がとても良いのかも知れない。これは結構最近になって気づいた。
 
これはディスっぽくなるが、コーチやコンサルやカウンセラーといった人達を見て来て思ったのが、何となく面白い人が少ない。
 
これは何気ないようで変な話だと思った。人間という面白いものと関わる仕事をしている本人に面白みがない、なんて。
 
よく言うと彼らは真面目過ぎってわけなんだが、具体的に言うと、勉強したこと(方法論・理論・思想・世界観など)で頭がいっぱいになって、生の人間や生の人間関係の醍醐味に鈍感になってしまう傾向があったりする。これが彼らを面白くなくする理由の一つだと思う(あくまで傾向の話をしていて、一般化したいわけではない)。
 
しかしバーテンダーの仕事は生の人間の生の面白さでいっぱいだ。カウンターで出会う人達の多くは何かしらの面白さを持っていて、それを垣間見せてくれる。自分も、自分の持てるスキルと感性を駆使して、お客さんと一緒に面白さを創造しようと(楽しく)努力する。
もちろん楽しいこと・良いことばかりではないが、とにかく「生」の人間と関わる仕事だ。
 
接客の中では色んなケースがある。まず話す人もいれば話さない人もいる。(二人きりのカップルや仕事の話を真剣にしている人同士などを相手に自分が出る幕はない。)
お客さんと話す場合も、軽い談笑・情報交換・真面目な話・深い話・突っ込んだ話をする場合など、人や場合によって違う。
 
しかし先に書いた理由からか、まるでコーチングやコンサルかカウンセリングのような、まあ何でも言いが、つまり、人生がトピックになっている時が結構ある。


話は遡るが、十数年前、自分がバーテンダー修行を始めた頃、「自殺する人が最後に話をする相手がバーテンダー」とかいう変な神話があった。(出どころは何処だろう?謎だが)
 
僕の師匠はそういう神話を「過剰なロマンチシズム」と切り捨てていたし、僕もバーテンダーに対して「駆け込み寺」みたいなのはいい加減で勝手な設定だと思っていた。
たまたま師匠も僕も、「自分の人生、自分で考えて、自分で生きるもんですよね」という個人主義の強いタイプで、お悩み相談にウェルカムじゃなかった。相談されても「正しい答え」みたいなものをさっさと投げる、という感じだった。
 
ところが初期から十年ちょっと経って、気づけば、師匠はともかく、今の自分はかなり違っている。
人の相談を聞くことも自然にする。嫌じゃないどころか、興味深く、楽しみながら。
答えを与えるのではなく、当人と一緒に探究する。

今でも個人主義個人主義だが、その主義を突破する価値観・・人間への興味があるからだ。

まあ、そんなこんなだ。
人間への興味や探求とバーテンダーという仕事が深いところで相性が良かった、そして相互に活きている、ということの説明に少しでもなっていたらいい。
 
ではまた。
Yu